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ファン×イベント×エッセイ

先日開催したファンイベントにて足を運んでくださった皆さまからいただいたお題をもとにエッセイを書いている。これを書きながらそもそも「ファン」て日本語でどういう意味なんだ?とふと気になり調べてみたところファン(英: fan)またはフアンは、特定の人物や事象に対する支持者や愛好者のこと。「熱狂的な」を意味するファナティック(英: fanatic)の略。ということらしい。ファナティックを初めて知ったよ。


人の好きなもの聞くもしくは自分の好きなものを人に伝える、ファンであるということを発信するのはなかなか勇気のいる行為なのかもしれない。


例えば会話の流れで本や漫画の話になったとき、大枠でいえば共通の趣味として盛り上がれそうなものだが、好きなジャンルがズレた時点で会話が鎮火してしまう恐れがある。もちろん自分にとって未知のジャンルの面白さを人に語られる面白さはあるのだけれども、好きを語る側の気持ちになってみると自分の好きを相手がハマれるとは限らないしな…とか要らぬ心配をしてしまう。


今時でいえば例にあげやすいのはサウナ。僕自身はサウナが大好きだが他人にサウナの良さを伝えたい!というような願望は希薄である。しかしサウナに特に興味のない人から出るエピソードトークで「ととのうという感覚を押しつけられる」とか「水風呂がそもそも無理なのに強く勧めてくる」など、良さを伝えたいサウナーと非サウナーの溝を感じる話を耳にしたりする。別に楽しみ方など人それぞれなので各々楽しんだらいいのだ。スーパー銭湯の休憩所でのお昼寝とか最高。


好きを共有出来れば楽しいが押し付け合いになると悲しい結末を迎えることになってしまう。好きとか嫌いとかシンプルなことだからこそ拗れるとなんだか難しいややこしい。


ポジィティブな内容のはずなのに自慢話みたいなものもなかなか聞いていられない気がする。「〜が良かった」とか「こんないいことがあって」とか文字面で見ればやはり良さそうな楽しそうな話なのにな。


お金あります的な自慢とか一番聞いていられないものな。宝くじに高額当選すると人はやっぱり隠すものらしい。お金の話を人とするのはあまり良くないとされているしな。しかしそんな美徳が原因で投資など資産運用に日本人は疎くなってしまっている的なことをお昼のニュースで見た。TPOはあれど人とした方がいい話はオープンにしていきたいものだ。電子マネーもっと活用していきたい。お得を享受したい。


今はYouTubeなんかでも学ぶことが出来るから、いろんなところから情報を取り入れて曖昧模糊から抜け出して情報社会で取捨選択していきたい。一朝一夕ともいかないが、三匹目のたぬき、いや小ブタが使ったレンガのごとく堅実に積み上げていこう。


本当になんでもあるよなYouTubeと日々思う。その中で快眠やら不眠に効果的だと謳っているヒーリングミュージックがあるが、あれたまに広告入ってるからマジで気をつけた方がいい。絶対につけるなよあれには広告。


野菜や植物の育て方なんかもたまに調べるが最近はいよいよ本格的に自宅のベランダで植物を育てたい欲が湧いてきた。父の所有する畑はなかなか行けていないし行っても父の指示に従い作業を手伝いブランコに乗り草を刈り好きに火を焚いて持ち込んだ昼飯をきれいな景色を眺めながら食べるだけなのでと書きながら良いところがどんどん浮かんできてめちゃくちゃ畑に行きたくなっている今。とにかく特別自分で育てているものがないので簡単な野菜や植物の面倒をみたいのだ、土いじりがしたいのだ。


そんな野菜や植物に囲まれて、ビールでも飲みながらぼんやりとベランダから星でも眺めてのんびりしたい。ベランダは狭いし都会では星もたいして見えはしないので厳しそうだが、とりあえず夏野菜に挑みたいという心意気だけはある。


現状ある植物たちはそんなに手が掛からないものばかりなので、手間といえばたまに余分な葉っぱや枝を剪定するくらいだろうか。この剪定の作業がわりと好きで、特に自分の髪の毛がなかなか切りたくても切れないみたいな時期はその欲求をその作業にぶつけている節がある。


職業柄自分のしたい髪型にするということがないのでもはや自分のしたい髪型など分からなくなっている部分もあるが、いわゆる伸び途中的な長さの時期はもどかしくなることが多々ある。


先日まで人生史上最も髪が長かったのだが、伸びれば伸びるほどロングヘアーを綺麗にキープしている人へのリスペクトが強くなっていったな。洗うのも乾かすのもメンテナンスも大変な手間が掛かる。なので髪を切った今、減った手間の分を植物に掛けたいような気持ちになっているのかもしれない。


ここまでわーっととにかくお題を散りばめ詰め込み倒して書いてみたが、なかなかにカオスなエッセイになったと思う。やはり自分だけの脳みそではこうはならないと考えると皆さまとの共同作業のように思えて興味深かった。楽しんでもらえたら嬉しい。一人で作り上げる部分だけでなく、その上で共演することが楽しい演劇と一緒だ。一人じゃなにも出来ん。


皆様がそれぞれ一人になりませんようにと今回はアクリルスタンドも作りました。いやそんな深い意図はありません。いつの日か欲しいと言ってくださった皆様のお陰で制作に至りました。どこへでも連れて行ってやってください。次はいとしなもんのポーズをしたぬいでも作ろうか、作るまいか。


そんなエッセイ当別編もここまで。足を運んでくださった皆様、お題を考えてくれたあなた、読んでくれているあなた、本当にありがとうございました。今後とも生クリームのごとく甘い目で見守っていてください。あの日読んだお手紙の内容は聞いてくれたあなたのお心にそっと忍ばせてくれていたら嬉しいです。それではいつの日か、また。


P.S シャークフィンてなんだったんだろうな…調べても足に付ける水かきしか出てこなかったや…真意は藪の中。